2003/10/10

 

[Review] ああお姉さまお姉さま お姉さましか愛せない体にされて悔いなし

 便所ファンサイトとしては、「マリみて」で一番好きなキャラは、便所で「るんるんるん♪」と鼻歌を歌っていた桂さんに決定です(挨拶)。

 おひさしぶりです。深沢です。
 8月からの懸案事項であった「マリア様がみてる」の全14巻読破をようやく完遂しました。「レイニーブルー」に端を発した世界危機を乗り越えてからは比較的平穏な話が多くなり、全体的に落ち着いて来た印象。
 そんな中でも、要介護認定お姉さまである祥子の扱いがどんどん上達していく裕巳ちゃんに逞しさを感じます。彼女は将来はそういう職に就いたらどうだろうか。

 以下は全体的な感想。
 「マリみて」という作品世界の面白さは、「姉妹制度」を象徴とする少女同士のプラトニックな関係を至高のものとする伝統的な少女小説的な構造と、「超お嬢様達の大騒ぎ学園コメディ」という宣伝文句で表現される一般的な現代学園モノとしての構造が上手いこと共存しているところにあると思いました。
 例えば、主役級の紅薔薇ファミリーはこの作品を特徴付ける要素である「姉妹制度」が持つシステマチックな面白さを、黄薔薇ファミリーはより一般的な「大騒ぎ学園コメディ」的な部分の面白さを、そして白薔薇ファミリーは伝統的な少女小説の流れを汲む少女同士の友情を越えたプラトニックな関係を愛でる面白さを、それぞれ見せてくれます。
 この作品は間口をかなり広く取ってあるので、少女マンガを読んだ経験がある人ならどっかしらで「引っかかる」要素があるんじゃないかと思われます。「ボーイズラブに耐性がないと読めねぇ!」みたいなその他のコバルト文庫(偏見)に比べればハードルが低いと言えましょう。「マリみて」が野郎共にここまで売れたのは、そういう一因もあったんじゃないか、と思いますがどうか。
 ちなみに私は、祥子さまのアレっぷりに引っかかった口です。ホント彼女はアレだよな! アレさいこう!

 そして、この手の少女同士の関係を描く作品の常として、ともすれば「少女達が世界との繋がりを拒絶し、隔絶した環境下で極限まで精神的な繋がりを突き詰めていく」方向性に走りがちになるんですけど(最近の判りやすい例:t.A.T.u.)、「マリみて」では閉塞して世界と対立するのではなく、逆に世界に手を差し伸べて共に歩もうとする姿勢を良しとしているのが大きな特徴です。第1巻は別としても、それ以降は非常に大ざっぱに言えばたいていの話がこの「世界に手を差し伸べて共に歩む」方向に向いているんじゃないか、と言っても過言ではなさそう。多分。
 この作品にメッセージ性があるとするなら、おそらくコレなんじゃないんでしょうか。


 あとちょっと気になったのが、高校生が主人公のお話にしては、ばあさんやじいさんキャラの出現頻度が高いこと。ばあさん達はある意味「将来の理想の姿」として描かれているような気がしますし、じいさんに至っては何故か女子高生にモテモテですよ。何故じじいがそんなにモテるのか。
 今、文学の世界では「歳が離れた女性と老人の恋」を描いた作品が大人の女性層にウケており、「女たちがおじいさんに萌えている」なんて事まで言われているらしいのですが、その傾向が少女文学の世界にまで降りて来たということなのでしょうか。男女の間でプラトニックな関係を構築できるのは、相手がじじいじゃないとダメだからなのか?
 もしかしたら、「老人萌え」というキーワードが今後のトレンドになるのかも知れません。オレもじじいになったらモテますか?

 というか、何故女子高生が主人公の小説で老人を語らなければならないのか。

Posted at 00:00 | WriteBacks (0) | permalink
WriteBacks
TrackBack ping me at
http://fukaz55.main.jp/review/20041010.trackback
Post a comment

writeback message: Ready to post a comment.















Syndicate this site (XML)  Subscribe with Bloglines  Subscribe with livedoor Reader    blosxom 2.0.2