Mail from Beyond
2000年 1月


00/01/05 ■神も悪魔も降り立たぬ荒野に我々はいる

 「ラブひな」のエロ同人誌に男は必要ねぇ!(新年の挨拶)

 というか、あけましておめでとう。こちらは自作業務システムにY2K問題が発生してたらどうしようと震えているが、こちらの社内システムはお元気?

 それで3日は「ターザン」観てきた訳ですが、これはかなり馬鹿にできない傑作だと思った。いやその、実はオレはこう見えて「美女と野獣」以後のディズニーアニメは結構観ているのだが、今回の「ターザン」は娯楽映画という面においては「美女と野獣」以来のヒットかも知れない。
 ディズニーの画力と動画能力を最大限に活かしたアクションシーンの迫力が素晴らしいのは勿論だが、ストーリーが練られていてほとんど無駄なシーンがないこと、ヒロインは相変わらずのディズニー顔で萌え要素はないものの「演技」で独特の色っぽさを出していて萌え萌えになれることなど、純粋に観ていて楽しいと思える映画であった。

 あと凄いのがアニメがフルでゴリゴリ動く点で、普段テレ東のへっぽこ実験リミテッドアニメーションを見慣れた目にとってはえらい新鮮だった。日本のTVアニメとアメリカの劇場映画を同列に比較することは無論できないが、それでもこの格差は凄いわ。「マトリックス」を観た時にも思ったが、やっぱアメリカのアニメ力(ちから)は日本をとっくに越えているのかも知れない。
 とか言いながら、帰りの秋葉原ではそのリミテッドアニメのエロ同人誌を漁ってきたりしたんだけどな!(ダメ)

 あと、秋葉原に行ったときに「ぷらっとホーム」というPC屋に行ったのだが、その店内ではふるまい酒サービスを実施中であり、店に入った途端にそこの社長に「兄さん、体格いいから飲めるんだろ?」とか言われながら日本酒飲まされたのが印象的だった。
 どうして秋葉原まで来て、そんな課内の宴会で聞き飽きた事を言われなければならないのか!?
 2合飲んだけど(結局)。

 という訳で以上。
 今度は「ジャンヌ・ダルク」観たい(おわり)。


00/01/14 ■Boys be ambitious! (意味:若いの、メソメソすんな)

 「愛人」と書いて「アイレン」と読ます!(挨拶)

 という訳で、この前ウッカリ田中ユタカの *非成人向け* コミック「愛人」を買ってしまった。本屋は相変わらず油断できないところだぜ!(言い訳)
 内容だが、「男にとって都合の良い女しか描けない」という田中ユタカの特性を最大限に活かしたものになっており、とても好感が持てる。

 以下あらすじ:
 人類という種族そのものが緩慢な死を迎えようとしている近未来(「ヨコハマ買い出し紀行」コンパチ)、とある理由で「いつ死んでもおかしくない」身体になってしまった主人公の少年イクル(顔は田中ユタカのマンガに出てくる軟弱男子のコンパチ)。彼は常に死の恐怖に怯え、孤独に生きてきた。

 そこにやって来たのが、「終末期の患者の精神的な救済を目的とした擬似的な配偶者」として公共機関が用意した、「愛人」と呼ばれる少女である(顔は田中ユタカのマンガに出てくるロリ女子のコンパチ)。
 彼女は如何なる理由によってかは不明だが、ロボトミー手術を受けて過去を抹消され、今はただ「愛人」として死を目前にした人間を癒すためだけに生きる存在と化している。

 「あい」と名付けられたその少女は、持ち前の田中ユタカ的な「男に都合の良い美少女」っぷりを遺憾なく発揮し、屈託のない純粋な愛をイクルに常に与え続ける。そんな彼女にイクルは最初の内は困惑していたものの、そのうちにすっかり彼女にドッキンハートにまばたきショット! お前に激ラブ! な状態に化してしまう。端的に言ってあいにゃん萌え萌え。

 だがしかし、「愛人」もまたその命は極めて短命であり、おそらくはイクルよりも先に死んでしまうだろう、と告げられる。このトキメキはすぐに二人の死と共に消え失せてしまうのだ。己の死を癒す存在であるはずの「あい」の死、という大きな障害に悩むイクル。
 だがしかし、やがて彼は「いつか二人に別離が迫ろうとも、今この瞬間を輝かしい思い出に変えて、頑張って生きていこう」と悟り、毎日毎日を楽しく暮らそうと決意するのであった。第一巻おわり。

 というか、田中ユタカの甘ったるいラブコメ世界がダラダラ続くその様はもはや感動的であり、もしこのテーマを最後まで描き切れれば、個人的には彼の作品の中でもベストの作品になるのではないかと思う。このマンガがあれば、「ラブひな」とか「女神さま」とか「守護月天」とかの、『男にとって都合の良い世界を描いたラブコメ』はもう必要ないね! 萌え!

 貴様もたまには、田中ユタカのマンガに救いを求めてみてはどうか?(ドクロ)


00/01/18 ■現実社会で「しくしく」って言う奴は課税の対象にするべきではないか

 あの目は何人も殺してる目だよ!(挨拶)

 「ルーンマスターゆうき」は確かに様々な意味で辛いマンガだったが、しかし「うわ、これは凄いよ! やるなぁチャンピオン!」というセンスオブワンダーな感覚(間違い)をオレに与えてくれたという意味合いにおいては、とても愉快な存在であったことは確かだ。
 ついでに、最後の話に出てきた蜂の魔物はちゃんと描き込まれていてそこそこ格好良かったので、ひょっとしてコイツはやればできる奴なのか? と思った。ロリ少女じゃなくてああいうのが得意だったら、最初からああいうのが主人公のマンガ描いた方が良いと思うのだが、その辺どうかね>ゴルビー(犬)。
 あと、「NUDE」の連載再開はもうちょっと先みたい。

 君に自由を与えよう(おわり)


2000/1/27 ■今年は語尾に#(しゃ〜ぷ)を付けるのがクるね!

 っていうか、女の子の間じゃもうキてるよ!(挨拶)

 で、今週のチャンピオンから、あのうれしはずかし少女革命マンガ「NUDE」が再開されたが、今週の内容はもうモロに「セブンティーン」とかに載ってる愛と性の悩み相談室に出てきそうなネタっぽく、いい味出してる。元々そういう傾向があったマンガだったのだが、再開第一発目がコレだもんなぁ。
 「ラブコメマンガと少女の性の悩み相談室を合体させる」というアイデアは、今までの少年誌にはなかった斬新さを感じる。この調子で、今後もガツガツ少女を悩ませまくり、最後には彼女たちの世界を革命して頂きたいモノだ。保健医の先生レギュラー希望。

 ついでに、昨夜 CATV インターネットやってるダメ友人宅へ行って来たのだが、午後8時とかそういう時刻から平気で Web とか IRC とか Ultima Online とかやりまくってダメになっている姿が大変に羨ましかったので、オレも CATV インターネットを導入する覚悟を完了させた。今月中に申し込んでやるぜ!

 オレもダメになりてぇ!(もうなってます)


2000/1/28 ■「飛んでぶーりん」の名前の由来は、「飛んでイスタンブール」だったんかい!

 ワシは今日は忙しいんじゃあ!(挨拶)

 そして、次の日曜はいよいよ「おジャ魔女どれみ」の最終回である! 魔法少女モノの定番・「みんなに魔女であるということがバレる」というパターンでそつなく最終回に繋いだストーリー展開は王道ながら安心でき、最終回に大期待つかまつるところである!
 しかし、前回の予告を見たら、なんかおんぷちゃんが魔法陣の真ん中で仰向けに倒れており、その周りをどれみ・はづき・あいこが囲んで何やら怪しげな呪文の詠唱をしているシーンがあったのが、気になってしかたがないのである!
 オレが思うに、あのシーンはきっと

 「魔女であるということがバレた途端、どれみ達4人は『魔女狩り』の狂気に駆られた大人達の手で弾圧されてしまう。愛する人達に迫害され、何もかも信じられなくなってしまうどれみ達。
 その弾圧を逃れるため、おんぷは魔女の証である魔法石に秘められた魔力を使い、周囲の人間から魔女の記憶を消し去ろうと画策するのだが、しかし人の心を操る魔法を使った反動でマジョルカの『お守り』が壊れてしまい、遂に彼女の身に厄災が降りかかる。魔法は成功し、人々は狂気を忘れ平穏な心を取り戻したのだが、その代償としておんぷは魔女界に彷徨う闇に住まいし『名のないもの』・ブラモアの手によって、恐怖の中で死んでしまったのであった。
 自らの命と引き替えに仲間を守ったおんぷの死を悔やんだどれみ達は、残された最後の魔力を使ってカダマンシイの秘術(反魂の術)を詠唱、おんぷを甦らせようとする。その秘術は成功したように見えたが、しかし――恐怖なる存在によって黄泉に落とされ、そして超常的な力によって甦ったおんぷの魂は、もう元のおんぷではなかったのである!」

 というストーリーの中のワンシーンであるに違いないね!
 つまり、「おじゃ魔女どれみ#(しゃ〜ぷ)」とは、恐怖を経て異なる存在として甦った悪のおんぷと、生前のどれみ達との交流によって彼女の中に生まれた清純なる善の魂が生み出した赤ん坊=善のおんぷ(花から生まれたので、闇の皇子によって「フェラジン」と名付けられる)の二つの魂の交錯を描いた、心温まるダークファンタジーになるに違いないね!
 「みんなの幼稚園」にダークファンタジーまんがが掲載されるなんて、凄い時代になったよなぁ!

 ワシは今日は忙しいんじゃあ!(おわり)


2000/1/31 ■バウンティハンターさくら(狩りの対象:逃亡奴隷)

 しかし、貴様もさくらにゃんと知世さまを(中略)する同人ソフトを買ったって言ってなかったっけ?(挨拶)

 おジャ魔女に関してだが、オレ妄想ストーリーはさておき、概ね定番通りの展開で良かったのではないのだろうか。最後に魔法を失ってしまったのはやや予想外だったが、「あたし達が魔法を使ってやりたかったことは、別に魔法がなくてもできることだった」「魔法は失ったけど、もっと大切なものを見付けた」とフォローされていたしな。
 これは即ち、どれみ達が一回り成長したという事を意味する。これを覚悟のススメ風に言うなれば「どれみ達は魔法を失って弱くなったか!? 否! どれみ達は今、魔法よりも強い何かをまとっている!」であり、これから彼女たちは人生のガラン城に突入! 斬られるだけなら犬でもできる! 受けてみるか大玉! なのである。

 とか納得してたら、アンタ次週予告でいきなりコスチュームチェンジして次世代型ペペルトポロン(=鈍器)を振り回してるどれみ達4人組の絵が出てきてアッフーンって感じ。いやまぁ、主人公達が魔法使えないと「おジャ魔女どれみ#」というタイトルの意図に反するので、営業上致し方ないのだが。
 来週も、どれみと一緒に鈍器でメッタ打ち! なのか!

 あと、リアルバウト9年間少女監禁事件だが、なんつうか9年間の間2階に籠もらせきりだった、という辺りで、かなり被害者の女性が凄いことになっているのは容易に想像できますな。運動とかまったくしてないだろうから身体も弱くてブヨブヨだろうし、それより何より風呂とかトイレとかどうしていたのやら。まったく、想像するだけで恐ろしいですわい。
 あと、犯人の母親も少しは気付けと言いたい。

 個人的に、この手の監禁モノは「女囚さそり」とかそういう辺りから苦手だ。やっぱ、個人の自由を犠牲にしてまで欲望を満たすのはよくないよな。所詮、監禁モノは最後にはこの手の悲劇を生むだけであり、監禁にロマンを求める方がどうかしていると思った。
 やっぱ、一度は「黒猫館」を見たり「禁断の血族」をプレイしたりして、監禁モノのストーリーが辿る末路のむなしさを知って欲しいデスね!(「まゆ」は邪悪なロマンを満たすソフトなので禁止)


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